クスミ ティ、150年の歴史

1867年 – サンクトペテルブルク

農家の長男パヴェル・ミハイロビッチ・クスミチョフは、14歳で故郷の村を離れ、サンクトペテルブルクの茶の商人のもとで働きます。すぐに少年の驚異的な才能に気付いたこの商人は、彼にティーのブレンドの秘訣を教えます。

1907年、パヴェルはヴィアチェスラフにティーを学ばせるために、当時世界的な原料取引の拠点であったロンドン(シティ)に行かせます。そこでヴィアチェスラフはティーのスペシャリストとなり、実業家としての才能を発揮して、11, Queen Victoria Streetに最初のイギリス支店「P.M.Kousmichoff & Sons」をオープンさせます。

1908年、父親の死後、ヴィアチェスラフはロシアに戻り、家族企業の指揮をとります。全盛期を迎えた会社は全国に51店舗を展開します。

1917年 – パリ

1917年、災難を予感していたヴィアチェスラフは、財産の一部をロンドンのオフィスに移転させて、パリの75 de l’avenue Nielにメゾン「クスミ ティ」を創業します。同年、ロシア革命が勃発し、白系ロシア人のクスミチョフ一家はロシアから逃れることを余儀なくされます。クスミチョフは、まず家族をコンスタンティノープルに送った後、1920年にパリに行かせました。

会社は戦間期に繁栄し、ニューヨーク、ハンブルク、コンスタンティノープルにオフィスをオープンします。しかし、ヴィアチェスラフが真っ先に居住地に選んだのは、多くのロシア人が住むベルリンでした。一家は贅沢に暮らし、子供たちはコンセルヴァトリウム(音楽院)で音楽を学びます。コンスタンチンとナディアはバイオリン、ベラはピアノを演奏します。ベラはこの機会を通じてラフマニノフに出会い、後に有名な女性声楽家となります。

ヴィアチェスラフ・クスミチョフは、息子のコンスタンチンに家族企業を引き継ぎ、戦後すぐに(1946年)死去します。しかしコンスタンチンは、ティーを愛する半面、父親や祖父のようにビジネスの才能には恵まれておらず、資本家よりも職人タイプでした。1972年、第二次世界大戦ですでに衰退していた会社は倒産の危機に陥り、コンスタンチンはひどい条件で会社を譲渡することを余儀なくされます。その後数年間、クスミチョフ社は様々な資金で「クスミ ティ」の販売を続けます。

2003年から現在まで – 復活

2003年、コーヒーやカカオの卸売業を営む名家出身のオレビ兄弟がクスミ ティを知ります。バロック様式の鮮やかな美しい缶に自然と心をひかれた彼らは、そこに大きな可能性を見出します。現代性に魅了された機略に富む彼らはメゾンの事業を引き継ぎ、クスミチョフ一族が築いた伝統を継承して、世界的な名声を拡大させます。

メゾンの顔となったシルヴァン・オレビは、本来の特徴に磨きをかけ、パヴェル・クスミチョフが生み出した歴史的なロシアンブレンドそのものの風味を生かします。アナスタシア、プリンス・ヴラディーミル、ブケドフルール108番は崇高なオーラを取り戻し、帝政ロシアの年末休暇の雰囲気が漂うツァレヴナを始めとする、ロシアンインスピレーションを宿した新しいブレンドティーが誕生します。

好奇心旺盛で世界の変化に敏感なメゾンは、ティーにユニークな風味の原料をブレンドして革新を巻き起こします。デトックス、スウィートラブ、BBデトックスといった、有名なウェルネスシリーズのブレンドティーはメゾンの代名詞となっています。

クスミ ティは10年足らずでかつての栄光を取り戻します。35ヶ国に60店舗以上、世界一美しいシャンゼリゼ通りのフラッグシップショップ、ヨーロッパ、カナダ、アメリカ各地に拠点を持つクスミは、ツァー(ロシア皇帝)の時代の輝きを放っています。

ティー、文化、色彩、民族に至るまで、様々な形でブレンドを具現化するクスミは、アクアティックシリーズ「La Beauté des Mélanges」を発表して、そのシンボリックなティーを際立たせています。水中に没したオスマン様式のアパルトマンが、エモーションと欲望を掻き立てる神秘的なコレオグラフィーを踊りながら、体と生地を絡ませるカップルの装飾舞台と化しています。

芸術的な世界に関心を抱くクスミ ティは、2014年以来、コンテンポラリーアートを支援しています。グラン・パレにおけるビル・ヴィオラのメセナ活動の後、メゾンは2015年にコミットメントを更新しました。今回は、クスミがティーのコードを一新したようにファッションの常識を打ち破ったジャン=ポール・ゴルチエが、製品コレクションも手掛けます。

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