伝説のシャンゼリゼ通り
かの有名なシャンゼリゼ通りは「世界で最も美しい通り」と称され、そう呼ばれるにふわさしい通りです。この都会の大動脈は、パリの縮図であり、幾度も祝祭の舞台となり、フランス的な生き方の象徴となっています。昼も夜も大勢の人が行き交い、訪れる人は年間で(3000万人の観光客を含め)1億人に上ります。パリ市民も旅行者も、ブティックやレストラン、豪華ホテルを利用しにやってくるのです。また企業は、テュイルリー 公園からラ・デファンスまでを見渡せる見事な眺望を目当てにオフィスを構えます。
歴史
ルイ13世の時代、現在のシャンゼリゼ通りは沼地や牧草地、木の茂みで覆われていました。王母マリー・ド・メディシスはテュイルリー宮殿を立派に見せようと工事に着手します。その結果でき上がったのが、もう一つの王宮であるヴェルサイユ宮殿へ延びる長いニレの並木道。この道はテュイルリー通りと名付けられ、後の1615年にクール・ラ・レーヌと改称されました。
その後1666年には、国王ルイ14世が庭師のアンドレ・ル・ノートルに工事の継続を命じます。ル・ノートルはまずルーヴル宮殿とテュイルリー公園をつなげ、緑地を貫く道路を市街まで延ばしました。こうして誕生したグラン・クールが、やがて17世紀後半にシャンゼリゼ通りと名を改めることになるのです。この「シャンゼリゼ」という名前がギリシャ神話に由来することはご存知でしたか?徳の高い人や英雄の魂が安らかに休息できる地下の国を指す言葉でした。
18世紀前半、シャンゼリゼ通りは現在のエトワール広場まで延長されました。その後も通りの開発は続き、19世紀後半に登場したオスマン男爵は通り沿いにパリらしい建物を建設しました。シャンゼリゼ通りが今日の姿に近づき始めたのはこの頃です。カフェやレストランがオープンし、主要な馬車会社が後に続くと、まもなくパリの上流階級の人々が引き寄せられ、通りを散策したり、通りでパレードを行ったりするようになりました。
シャンゼリゼ通り:名声と祝祭
この世界で最も美しい通りは長さ約2キロ、幅約70メートル。現在では楽しそうなイベントや祝祭がひっきりなしに行われる舞台となっています。1944年8月26日、ド・ゴール将軍はパリ解放を受けてシャンゼリゼ通りで凱旋パレードを行いました。フランスがスポーツの大きな試合で勝利を収めたり、スターの栄誉を称えたりする際は、大勢の人々が通りに集まります。また毎年12月には、約60万人の人々が新年を迎える場としてイルミネーションで彩られたシャンゼリゼ通りを選びます。7月14日のパリ祭の舞台となるのもこの通りで、大統領と共に、数千人のフランス人が参加して国家の記念日を祝います。
シャンゼリゼ通りは世界中で手本と仰がれ、同じ美学に基づく似た通りが他にもあります。上海の南京路、ニューヨークの5番街、シンガポールのオーチャード・ロード、サンクトペテルブルクのネフスキー大通り――クスミティーの発祥の地!――などです。こうした通りには、シャンゼリゼ通りのように高級ブランドや評判のレストランが軒を連ね、その国のシンボルとなっています。
次回パリを訪れる際には、ご自身の目でぜひご覧ください!いずれにせよ、「お天気でも雨でも、真昼でも真夜中でも、シャンゼリゼ通りには欲しいものがすべてある」のです。かの有名な歌を口ずさむのを忘れずに…